“正直いって、最近のあらゆる本は意味もなく 3.11 大震災を持ち出しすぎだと思う。「アーティストのためのハンドブック」でも、大震災によりアーティストの意義が変わったとかなんとか訳者解説にある。変わってないって。ショックだったのはわかるけれど、それで自分が何かえらくなったような気分にひたってはいけない。それは高校くらいに、はじめて社会の役割とかこの世の不正とかに気がついて「世界はどうあるべきか」なんて考えはじめたとき、ついつい自分がえらくなってだれも気がつかなかった真理に気がついたように思ってしまうのと同じだ。「もっと人々が分かち合えばいい社会になるのだ!」とか「大人は強欲で汚い! もっと心を大事にする社会にしなければ!」とかね。 あの震災でもそうだ。あれを期に初めて社会の仕組みとか公共の役割とかに思いをはせた人々は、いままでそういうのを何も考えたことのない人に限って、何かそれで自分がすごく深遠なことを思いついて、だれも考えていなかったことを自分が考察しているかのような気分になって、舞い上がっている例が多々ある。「もっと人々が分かち合えばいい社会になるのだ!」とか「もっと心を大事にする社会にしなければ!」とかね。 でも、やがて高校生たちもわかるように、実は自分が考えたことの大半は、とっくに誰かが考えているのだ。そして自分の考えの相当部分は、浅知恵にすぎないのだ。でも、震災で何か深遠なことを考えたつもりの人々の多くは、高校生とちがってバカにされて成長する機会を持てないまま、そうした認識に到達せずに終わってしまっている。きみたちは何も変わっていないのに。おたおたしただけで、それに安住しただけでかえって愚かになっているのに。”
— 長山靖生『戦後SF事件史』:なんだ、ぼくが一回も出てこない事件史なの? - 山形浩生 の「経済のトリセツ」 Formerly supported by WindowsLiveJournal (via tsuda)
